インフォメーション 〜time now〜

 桜の花が咲き誇り、一年で最も華やかな季節がやってきました。新年度を迎え、私たちの職場も、新たな門出に胸を膨らませた多くの新入職員を迎えることができ活気に満ちています。この時期は古株の私たちも、新人さんたちのパワーに負けじと自然に張り切ってしまいます。

 今回は、私たちの職場に勤務して下さっているフィリピン人の看護助手さんの紹介をさせて頂きたいと思います。二宮ジェマイリンサイソンさん、松迫シャラジェンドマンゴンさんは昨年2月、野浜ベッシィバッレドさんは昨年12月に諏訪の杜病院に入職されました。彼女たちは日本人男性と結婚していますが、日本で手に職を持ちたいと介護の初任者研修を修了し、当院に就職されました。家族に教えてもらったという日本語は日常会話には困らないほど流暢で、個人差はありますが漢字も書けます。言語や文化・習慣などの違いに戸惑うことも多いと思いますが、患者さんに優しく丁寧に接して下さっています。ゆっくりで良いから確実に仕事を覚えられるようにと看護助手の先輩たちも一生懸命業務を教えてくれています。

 勤務して1年が経過した際、朝礼で二宮さんがこんなスピーチをしてくれました。

 私が介護の仕事を志した理由は2つの事がありました。一つ目は8年前兄が交通事故にあい、頭に大きなけがをおってしまいました。3か月間意識が戻らず生死の境をさまよいましたが、何とか一命をとりとめ、意識も戻る事が出来ました。しかし、手や足にマヒが残り言葉も話すことが出来ません。家族の顔すら分からないようでした。私も一所懸命話しかけましたが、私の事もわからないようでした。事故当時、兄はICUに入って治療を受けていて、看護師さんたちは付きっきりで処置を行なってくれました。3か月後兄の意識が戻ると大きな声を出したり暴れたりケイレンを起こしたりしましたが、看護師さん、介護士さんはていねいに対応してくれました。今でもそのことを大変感謝しております。私は当時、兄に対して介護をしてあげる事が出来ませんでした。どうしていいのか分からないし、兄が暴れたりした時、止める事も出来なかったからです。今考えてみると、あの時もっと強い気持ちで兄の病気と向き合ってあげられなかったのが、もっと努力して兄に良い環境を作ってあげられなかったのが残念です。兄は今、言葉を発する事が出来る程度まで回復しているそうですが、遠くに居るのでなかなか会う事が出来ません。私が兄に対して出来なかった事を、今の仕事を通して患者さん達にしてあげられたらいいと思ったからです。2つ目の理由は日本は高齢化が進んでいるため、今後外国人の労働者が日本の社会に増えてくると聞いております。医療関係の仕事においても同じであると思います。自分は介護の仕事はまだ不慣れですが、いつか出来るようになって、増えてくる外国人介護士の先頭に立ち、社会に貢献が出来たらいいと思います。私は、会話も字も仕事もうまくはありませんが、努力してレベルアップしていきたいと思います。そして新しく日本で働く外国人介護士さん達に自分の経験・技術を伝えることが私の目標であります。この2つの理由が私が介護の仕事を選んだ理由であります。お兄さんの事を介護して下さった介護士さんに感謝の気持ちと、私が兄のために介護出来なかった後悔の気持ちを、又、これから増える外国人労働者の先がけとして、今、目の前にある一つ一つの仕事を誠意をもって全力で取り組んで行きたいと思います。

(原文のまま)

 彼女のスピーチを聞いてとても感動した為、読んだ文章を見せてもらい、何度か読み返しました。御主人と一緒に考えたとは言え、漢字を使って一生懸命に文章を書く様子が目に浮かびました。介護の仕事を単に収入を得る為の仕事としてだけではなく、高い志と使命感を持って遂行しようとしていることに目頭が熱くなりました。そして、看護師を目指して勉強していたころの自分、看護師の資格を得て、“さあ、これから病気や障害を持った人たちのために頑張るぞ!”と張り切っていた頃の自分を思い出したと同時に、毎日の業務に流されている今の自分が恥ずかしくなりました。彼女に負けないように、頑張らなければと考えさせてくれました。

 彼女は、これからも介護士として経験を積み重ね、最終的には介護福祉士の資格を取りたいと話してくれました。日本語での国家試験はハードルが高く、かなりの勉強と努力が必要です。でも彼女なら頑張って挑戦してくれると思います。

 縁あって私たちの病院に就職してくれた彼女たち。それぞれが自分の目標を達成できるよう、私たちも陰ながらサポートしていきたいと思います。

平成29年4月タイムナウ 看護部顧問 藤山恒子