インフォメーション 〜time now〜


 ケニアの暑い時期に赴任して、涼しくなりかけた頃に大分に戻りました。5月の日本は暖かいですね。

 私が10年以上活動するケニアで、また新しい経験をしたので報告したいと思います。それは、3月25日の午前中にかかってきた1本の電話から始まります。ケニアの友人が事故に遭いケニヤッタ国立病院に救急搬送されたというのです。私は、その日にやらないといけない仕事をそそくさと終え、夕方彼を見舞いました。病棟に上がるとその友人は廊下のストレッチャーに寝かされていました。バイクを運転していてプラドに当て逃げされたらしいのです。幸い、目撃者が写真撮影していたために、後日犯人は逮捕されました。友人は、右腕と右足を骨折しており手術が必要で待機しているという事でした。詳細の解らなかった私は、取り敢えず差し入れの水を彼に飲ませました。すると、彼の母親が「手術をするから、絶飲食なのに」というのです。しかし、ですよ…なんと彼は前日に事故に遭い運ばれていて救急処置を受けた後、「次はあなたの番(手術)だから」と言われ続けて、24時間以上この状態らしいのです。痛みを訴える彼の代わりに、「痛がっているので、痛み止めをして欲しい」と看護師や医師に伝えると、「もう手術で麻酔をするから、もう少し我慢させて」と言われ、なす術もなく、その日は帰路に着きました。翌日、彼の母親から、「力になって欲しい」という呼び出しを受け、再度ケニヤッタ国立病院を訪れると、彼は昨日の状態のままでした。その日は土曜日だったので、手術の可能性は限りなく低く、病棟の医師に尋ねると、1800床の病院に手術室は2つしかなく、救急も受け入れているから、手術はいつになるか分からないと言うのです。また、執刀する医師も足りていないと言われました。勿論、何の処置もされず痛み止めの投与もされていません。痛みに耐えきれず、友人が痛み止めを希望したら、医師だか看護師だかに、「男なんだから、我慢しろ!」と胸ぐらを掴まれ精神論で励まされたそうです。「そんな問題⁉」…ではないと思います。50時間以上、ほとんど飲まず食わずのまま放置されていて、このままでは友人が、事故が原因ではなく感染症等の他の理由で命を落としかねないと思い、私は転院を決めました。

 その場にいた人間ならば、躊躇することはないでしょう?この判断を今でも後悔はしていません。まぁ、転院を伝えてからの医師の対応の早さといったらありませんでした。「退院は自分の意志で行うもので、何かあってもケニヤッタ国立病院に責任は問わない」という内容の同意書を5分もせずに持ってきてサインを迫ります。そのくせ、会計や院外に出るまでにはかなりの時間を要します。病棟を出る際のエレベーターの前やグランドフロア(日本の1階)の入り口で、本当に支払いがされているか確認されてようやく外に出られます。入院費が払えず、逃亡する患者も多いのです(親戚や友人が入院費を工面するまで隔離される部屋有)。ケニヤッタ国立病院の救急車は出払っていると言われ、私たちはプライベートの救急車を初めて手配する事になりました。その救急車は、日本でも馴染みのあるトヨタのハイエースでしたが、内装は全然違います。まるで、クラブのような目にきつい赤色の内装で、手すりは蛍光色の黄色でした。真新しいモニターはありましたが、設備は不十分でした。この救急車の中で、看護師に友人がほぼ丸3日飲まず食わずの状態であることを説明したら、点滴をしてくれました。ケニアの知り合いの医師に26日の夜に、友人のことを前もって相談していたので転院先では、スムーズに事が運び、1時間も待たずに手術室に向かう事が出来ました。ケニアの知り合いの医師の友人たちが、協力してくれて、休日だったにも拘わらず、執刀医も駆けつけてくれたのです。本当に、有難かったです。後日、判明したのですが、友人は開放骨折(骨が皮膚を破り露出している状態)だったのです。写真もありますが、あまりにグロテスクなので、一般の方も見られますし掲載は控えます。この状態で、手術どころか、鎮痛剤や抗生剤の投与、処置もせずにストレッチャーに3日間も放置するなんて、本当に驚愕!!信じられないし許せない!!

 この一連の経験を通じて、「この国(ケニア)では、お金やコネがなければまともな医療が受けられない」という事を改めて痛感しました。何時間も過ごすことになったケニヤッタ国立病院では、嫌でも病棟の様子が目に入ります。隙間なくベッドで埋め尽くされた病室には、仕切りのカーテンもなく様々な状態の患者が一緒くたに詰め込まれています。ケニヤッタを利用する患者の殆どは低所得者で、ここに勤務する医療従事者は、この国では高学歴(学士・修士・博士)のエリートになります。だからといって正当化できる訳もありませんが、患者を見下した感じのあしらい方をします。元々、何故だかケニア人はケニア人同士で、人をランク付けして、軽視や差別をする傾向があります。数時間の滞在でも、患者の権利も尊厳もないのが窺えました。友人をみても、悲惨というよりは、「残酷」という表現の方がピッタリきます。まるで、この世の矛盾や不平等を全て抱えているような友人の姿や表情、有様に心が張り裂けそうでした。勿論、心ある医療従事者もいるのでしょうが、残念ながら今回はここで出逢うことはできませんでした。転院先では、100,000Ksh(日本円で11万程)を前払いしなければ、手術はしてくれません。「たった3万円や10万円程度で、この国では人の命や人生が大きく変わるのだ」と、生きることの厳しさや難しさを教えられました。その前の週に亡くなった知人の従兄は、暴力による頭部外傷で意識不明に陥り、緊急手術が必要だったのにも拘わらず、前払いの30,000Kshを払わなければ手術をしてもらえず、親戚中からお金を工面して、やっと手術を受けたのですが彼は亡くなってしまいました。運ばれた時に手術が受けられていたら、助かっていたかもしれません…彼は、30歳にも満たない健康な青年でした。この話を聞いて、更に悲嘆にくれました。この国の華やかな経済発展の光と影、貧富の格差、社会保障の未熟さを露呈する事象です。この国は、社会保障を充実せねば誰も救われない気がします。日本なら、いかなる経済状況にあっても、国民は公平に対応をしてもらえます。日本に生まれただけで幸せなのだと再認識…すると、日本で国や職場、他人に文句ばっかり言っている人たちのことを考えて、「甘えてんじゃねぇ!!」と思ってしまいました。無論、私もその中の一人です。とるも足りないことで、悩んだり怒ったりしている自分が情けなく、恥ずかしくなります。彼らの事を考えると、自分の小ささや無力さを認めざるを得ません。日々食べることもままならない友人の家族や知人たちは、支払いのためにお金を出し合っていました。充足していると言われているケニアの医療や社会の現実です。私は、今回のこの体験だけでなく、タイムナウを通じて、この世界に彼らがいたことや居ることを伝えたいと思いました。最新機器やIT機器を与える前にすべきは、医療従事者の意識改革と臨床教育が本当に必須だという事も伝えておきたいです。そうすれば、数年もせずに放置される寄付された高額な医療機器等もなくなり、患者のために運営・稼働されるようになるはずです。

 『人々のところに行きなさい。彼らとともにくらし、彼らから学び、彼らを愛し、彼らの知っているものから始め、彼らの持っているものでたてなさい。しかし最良の指導者なら、仕事がなしとげられ、ようやく達成されたとき、人々は言うだろう、人々は言うだろう、「自分でやった」と。』老子の言葉です。自己満足に終わらず、永続的に関わることの難しさ、実際に根を下ろしてみないと解らない、見えない現実。本当に、その通りだと思いました。これからも、私は様々な活動や経験を通して、葛藤やジレンマを抱えるのだろうと改めて思い覚悟もしました。






5月タイムナウ 岩根