インフォメーション 〜time now〜

 お盆を過ぎると、日差しがやさしくなり、夕方の空の色が変わり、吹く風の違いも少しは感じられるようになりましたが、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれも、ご自愛下さいますようにお願い致します。8月下旬なのに、何故だかケニアはまだ寒いです。

 日本の8月には、年に一度のお盆があります。ご先祖様への供養ですが、供養とは、サンスクリット語のプージャー又は、プージャーナーの訳で、仏さまにお香や華、燈明、飲食などの供物を、心を込めて捧げることを意味します。そして、供養には多くの意味があるそうですが、今回は「三種の供養」について書きたいと思います。

 まず一つ目は「利供養」です。これは、大好きな亡き方へ「何かをしてあげたい」という心を「カタチ」にして供えることだそうです。二つ目は、「敬供養(きょうくよう)」です。これは、ご先祖様を敬い大切にすることだそうです。もっと身近に表現するなら、「忘れない」ということです。亡き方と過ごした大切な日々、手のぬくもりや笑顔に声を忘れない。そして、大切な人の「生き方」を忘れないといことです。最後は、「行の供養」です。これは、自身が亡き人が喜ぶ生き方をするということだそうです。つまり、毎日の営みや行いを供えるということです。これは、亡き人が、一番望んでいる「あなたが、幸せに生きる」という事です。そして、あなたを支えている方々にも幸せに生きて欲しいということにもなります。そんな願いを託されて生きている「あなた」と「亡き人」を向き合わせてくれるのが、供養という行いです。供養は、仏さまだけでなく、供養をしている人にも心の安らぎや気付きを届けてくれ「心を整える」時間になるのだそうです。

 これまでも私は、信心がない人間であることを隠さずにタイムナウに掲載していました。
実際に、お墓参りはしていましたが、それは習慣的にしていて特別な思いは持ってはいませんでした。勿論、ご先祖様を敬う気持ちはありましたが、それ以上は考えていませんでしたし、それ以上の感情(心)も持ち合わせずに手を合わせていました。

 しかし、お墓の意味や意義を父の死が教えてくれました。父が亡くなった時に、やりきれない思いを抱いていた私を救ったのが、手を合わせるお墓や仏壇などの存在で、心の拠り所となりました。しかも、仏教では見送った人が手を合わせれば合わせる程、亡き人の苦行を軽減するらしいのです。だから、父の苦行がすこしでも楽になる様に、毎日毎日手を合わせて祈りました。情けなくお恥ずかしい話ですが、この歳になって、墓参りや手を合わせる本当の意味が理解できました。先祖に感謝し、同時に自分の心を整える時間になるという事です。最後に仏教用語をお伝えして終わりたいと思います。「自未得度先度他」という言葉があります。これは、「己いまだ渡らざるに先ず他を渡す」と読みます。自分が目的に到達する前に、まず他の人を到達させるという意味になります。「衆生を利益する」というのは、「衆生をして自未得度先度他の心をおこさしするなり」の意味を考えるなら、あまねく人々に、自未得度先度他の願心を起こさせるということです。そして、「その心を起こさせるだけの力量を付けたからと言って、自分はもう十分目的に到達したと思ってはいけない。例え自分が目的を達成できる条件を全て満たしたとしても、尚その力をめぐらし向けて、全ての人々・生きとし生けるもの全てが目的を達成できるように尽くす」とありました。未熟な私ですが、歳を重ねても、他者に依存せずに自立(律)出来る様に、そして、亡き父に誇れるような人生を、幸せを感じて歩めるよう日々精進したいと改めて思いました。



平成30年8月タイムナウ 岩根

Keyword : 幸せな生き方、パワーポイント作成(発表時間5分)