インフォメーション 〜time now〜

 ケニアは大雨季です。けれども、雨が夜や朝方に降るので、日中は快適に過ごすことができています。日本は、暖かくなったでしょうね。

 ある朝(現地時間)、ケニアで暮らす私に訃報が届きました。病院開院前(クリニックの時代)から、共に働いていた職員の訃報です。彼は、職員でありましたが透析患者でもありました。透析歴も長く、導入して今年の6月で丁度28年になろうとしていました。医療者の立場で考えれば、腕頭動脈解離による心タンポナーデなので彼の死は納得の範疇にあります。でも、全てを剥ぎ取った「素の私」、岩根美紀にはあまりにも突然すぎて、彼の死を受け止めることが出来ませんでした。「何で!?」「何で!?」という言葉と涙しか出てきません。ケニア人スタッフが、そんな私を思わずハグするくらい動揺していたのだと思います。「会っておきたかった」の言葉を繰り返す私に、日本から来ていた出張者が「来世でも、逢えますよ」と声をかけてくれました。その言葉に、悲しみや切なさ、驚愕や後悔、ぶつけどころのない怒りや哀憫など全ての感情の塊が溶けていくようでした。父の別れの時と同様に、逝ってしまった彼は私に、「当たり前の日常は、当たり前ではないのだから大切にしなさい」と教えてくれました。これからは、日常の何気ない挨拶や会話も大切にしたいと思います。時間が経つにつれ彼の笑顔が思い出され、「居てくれた」ことの有難さをひしひしと感じています。「じゃ、またお会いしましょう」、有難う御座いました、その日まで共に働いた日々を忘れません。

 こうやって、身近な人を失うと生命や人生について考えさせられます。まず、憤りを覚えたのが、先月フランス南西部で起きたテロ事件の一例です。治安当局連隊長が、逃げ遅れた市民の身代わりとなってお亡くなりになりました。テロリストの被害に遭われた方々も、私や同僚と何ら変わりのないかけがえのない大切な生命です。テロリストの暴挙に、どれだけの尊い生命や人生が奪われ犠牲となるのでしょうか? ISIL(イスラム国)は、シリアとイラクで支配地域を失い壊滅状態にはなりましたが、未だ多くの戦闘員が他国に逃れたので、この脅威は今後も続きます。余談ですが、ロシアや中国の独裁政治も、軍事力があるが故に、懸念しますし脅威も感じています。どうか、世界が平和であれ!!

 それから、人類誕生から数百万年が経っても未だ解決をみない生命に関わる問題の一つに自然災害があります。今月も、大分県の中津市で、大雨でもなく地震が起きた訳でもないのに土砂が崩れ数名の方が被害に遭われました。私達は、この予期せぬ災害をどう受け止め、どう処理していけばいいのでしょうか? そもそも、私達人類は、自然と向き合う事などできるのでしょうか? 答えが見つからないです…。私は、ご冥福を祈ることしか出来ません。

 今回取り上げる生命に関する最後の問題が医療の在り方です。医療費高騰に伴い命の価値が、年齢や全身状態、認知状態で推し測られているような気がしてなりません。例えば、透析導入と見合わせの問題です。「高齢だから」「認知低下があるから」という判断基準で、本来導入する意思があるにも拘らず導入してもらえなかったという相談や報告をお受けしたり、透析導入や見合わせ、透析療法のメリットやデミリットなど十分な説明を受けないまま意思決定を迫られ、当院にセカンドオピニオンで相談に来られる方もいらっしゃいます。中には、確かに病識や理解力が低い患者さんやご家族もいらっしゃいますが、状態説明や治療方針と選択肢をご説明すれば9割以上が正しく理解して納得して自己決定して下さいます。いずれにせよ、透析療法に限らず、医療者の価値観や誠意の違いで患者さんの生命予後や人生が、大きく変わってしまうようなことがあってはならないと思います。



平成30年4月タイムナウ 岩根
Keyword:生命の価値