インフォメーション 〜time now〜

介護福祉士主任 築城賢一

 みなさん初めまして、介護福祉士主任の築城賢一と申します。この諏訪の杜病院には20歳の時に就職しました。現在29歳となりましたが、本当に9年も経ったのかと驚いている次第です。介護福祉士となり、日々研鑽を重ね様々な経験をしてきましたが常に勉強の毎日です。今でも時々入社当時を思い出します。初めての就職でもあり、緊張していた朝礼での挨拶、初めての入浴介助では全身が汗まみれになりました。失敗もありましたが、時に厳しく時に優しく指導をして頂きました。それがあるからこそ今の自分があるのだと思います。現在の自分の立場から考えると、その経験がとても大切な経験となっています。

 当時とは立場が変わりが自分が指導する側となりました。今なら指導をするという事がどれほど大変だったのか身を以て体験しています。介護の現場を知っている方もいれば初めてだという方もいます。ある程度経験がある方ならば業務を覚えるのにさほど時間はいりません。ですが、全くの新人スタッフに対する指導はなかなか難しいものです。順序よく段階を踏んで、一歩一歩進んでいかなければなりません。その見極めがなかなか難しいのです。当時とは業務内容もかなり変化しています。自分自身の体験をもとに新たに組み直し、工夫をしている次第です。もちろん自分一人の力ではありません。経験を重ねベテランと呼べるスタッフと共に共同で行なっています。

 現在の自分はかつてとは異なり指導する立場です。私が就職した当時の、指導をしていただいた方々にはとても感謝しています。あの時の経験がなければ今の自分はいなかったでしょう。もちろんこの諏訪の杜病院におられる他部署の方々にも。事あるごとに助けて頂いています。

自分自身も介護職として多少贔屓目もありますが、日々研鑽を怠らず邁進していく姿に誇りを持っています。常に未来に向け進んでいる諏訪の杜病院で経験を続けられることを誇りに思っています。

病棟助手 梶原一也

 皆さん初めまして。病棟助手の梶原一也です。今回time nowのスタッフ第二号という事で指名を受け、何をお題に書こうか迷いましたが今回は、私自身がどうしてこの諏訪の杜病院でお世話になる事になったかを書きたいと思います。

 私は以前、大分市内にある某会社で働いておりましたが、その会社を退職し新しい就職先を探していた時に友人と話をしていたら「看護師を目指してみたら」と言われました。
これまで営業を主にしていた自分には医療業界は全くの畑違いの業種でもあり無理だと思いましたが、友人が私に「これまで営業で培った人とのコミュニケーション能力を最大限に活かせるのでは」と言われたのが看護師を目指すきっかけでした。
それから、看護師になる為に色々調べ情報を集めると、学校に行きながら仕事が出来る事を知る事が出来ました。
看護師になるならまず看護助手として現場を経験させて貰いながら看護学校へ行くと良いとアドバイスをされ、そこから求人を探したのです。 しかし、病院で働きながら看護学校へ通わせて貰える病院は少なく更に減っているという厳しい状況でした。そんな中で唯一その環境が整っていたのが「諏訪の杜病院」でした。

 実際に看護助手として入社をさせて頂き周りを見ると現役の学生の方が多数居てその中には私と同じように一般の企業で働いていた社会人の方も看護学校へ行き資格を取得して現場で活躍をしているではありませんか。これには正直驚きました。
そしてその姿を間近で見ているうちに自分も看護師になりたいという気持ちが日増しに強くなってきました。
ただ、看護学校へ行く為には当然入学試験があり勉強をしなければいけないのですが、自学だけでは厳しいものがありましたが、病院内で時間外にも関わらず看護局長が学生の為に勉強会を開催したり現役の看護師の方々が忙しい時間にも関わらず受験生に声を掛けてくれたりこちらから質問をしてもアドバイスをしてくれたりして受験生に対して凄く応援をしてくれるスタッフの優しさや病院としてのバックアップの凄さに感謝をしております。

 この環境を作られたのは、看護のトップでもある岩根副院長のめりはりのあるお人柄がスタッフ全員を同じ方向に向かせ日々勉強をされてスタッフにご指導されている姿を皆に見せているからこそだと思います。
来年、年明けに試験がありますが病棟職員の男性では最年長ですが合格出来るように頑張りたいと思います。
平成23年 11月10日